Bitter Sweet

ときめきたいったらありゃしねえ

生命線より豊麗線






大学生の試練、いや、特権にしよう。
ネガティブだと考えるのはつまらないし下らない。
出来はどうであれ、そう、特権とされる期末テストがようやく終わった。これからは大学生らしい言い訳なんて一切きかない期間が始まる。長いのか短いのかわからないけれどどうやら後退は出来ないように出来ているらしい。どうせ進むので有れば出来ることを精一杯やりながら、はたまた出来ないと思い込んでいる事でさえやりながらジグザグ進もう。




上記は全く以って関係ないのだが、
今ドラマで

「貴方に私の気持ちなんてわからないでしょう」

という台詞が流れた。
僕はこの言葉が大嫌いだ。
 誰しも 他人の気持ちなんて解る訳がない。
そんなこと 誰だって わかりきっている。しかしその事を 誰もが 心の奥で認められないのだ。
その言葉を発した当人のみが下らなく、餓鬼臭くて、未熟な精神なだけの癖に、気持ちが解っていたと錯覚するほどに近しい関係の人間を巻き込んでその低い視点で語るなよ。
そう思われないように人は思いつく限りの語彙を使い回して他人を労い気を張り巡らせる。また、そう言ってしまわぬ様に自分を省みて他人の素晴らしさを見いだすのだと思う。
要するに
自己顕示欲の塊の様な傲慢な自分の事しか考えられないような人間は嫌いだ。自分しか不幸でないと思ったら大間違いだ。今テレビでこの言葉を発したのが井川遥じゃなかったら喉元かっ割いてるぞ。





あぁ、すっきりした。
最近、精神が未成熟な大人を見て苛立っていたんだ。これを機に苛立ちはここに置いていこう。



2月に突入して、本格的な冬とさよならをして宙ぶらりんな季節。春にもなりきれず、暖かいわけでもないが、感覚が無くなるほど寒くもない。本日、東北は大雪だが。
こんな季節を面白くする為にはやはり自分自身。他人に頼っている暇はない。














































♪誰かの願いが叶うころ/宇多田ヒカル

ズッとならないようにグッと

今週のお題「さむい」




久々の今週のお題。緊張する。白い息を吐きながら書くよ。


大寒波は「今から行くね」とは言わない。

急にやって来た猛風、それと圧倒的な白は僕に、いや殆どの人にとってよろしくないものであるのではないだろうか。

動きたくなくなる、だとか

手が悴んで携帯が打てなくなる、だとか

運転しづらくなる、だとか

電車が止まる、だとか

いつから僕は雪を好意的な目で見ることが出来なくなったのだろう。

ド田舎で生まれ、育った僕は、ぎゅっと握れば固まるあいつを至る所に投げながら登下校を繰り返して小学校に通ったものだ。

手袋なんて必要なかった。冷たさなんて、雪を触ることへの好奇心と急に現れた非日常性にあてられて掻き消されていた。

今日の雪は固まりやすいやつだな、やったぁ。

なんて台詞は、

何年間も口にしていない。

雪を触ることによるによって得られる損得を無意識に享受しようとしているのだろうか。感覚的に雪に触ることへのデメリットが大きく、メリットが無いと感じた頃、僕は無意味な大人らしさを獲得する。

どこぞの野良犬が描いた、雪の上に広がる黄色い絵画も最近はあまり見かけない。

お互い、落ち着いたなぁ。

たまにはふてぶてしくても、良い。

































♪Lolita/ドレスコーズ

木目の波が歪んで見えて





鼻水ズルズルしながら下向いて、イヤホン付けながらマスクも付けて、正に世の全てに絶望した様な出で立ちをして今日も街通りを歩いた。

この時期はやはり何処もかしこもテスト勉強をする学生に溢れ、巷のファストフード店やカフェはキーボードの音やペンをノックする音が跳ね返っている。
かく言う僕も溢れかえった学校の図書館に押し出され、街中でテスト勉強をしようと救いを求めていつものモスバーガーに来たわけだが。


所謂、こういったパーソナルスペースで、極めて私的であるテスト勉強をするという行為が余り得意ではなく、隣の彼のようにiPadをなぞりながらモスチキンを食べるなどといった小慣れた動作は僕には出来そうもない。




知り合い居たらやだな。でも入ってしまったら出れないな。何も食べなくてもいいけど何か頼まないとな。飲み物だけだとよろしくないな。ライスバーガーだったらお腹に入るかな。皆がご飯食べている所でノート広げて大丈夫かな。それらしく振る舞えてるかな。あれ?今入ってきたの同じ学校の人かな。やだな。




こんな思いがぐるぐるぐるぐる。
テスト勉強どころじゃあない。

でもこんな事を考えているのはきっとこの店で僕一人で、なんてことはない、自意識過剰である。



よし、ノートを広げよう。シャーペンと赤ペン出そう。2つ隣の彼女に負けじと大事なところをひたすらマークしよう。





ううむ、でも彼女の髪を耳に掛ける動作と羽織っているオフホワイトのニットが余りにも儚く、洒落ていて、どこか場違いのレッテルを改めて押し付けられたようで、怯む。

問題に向き合う前に自分と向き合わねば。今回のテスト勉強は時間がかかりそうだ。










































♪武蔵野エレジー/THEE MICHELLE GUN ELEPHANT

スウェーしてジョルト




風邪をひいた。






なんて認めない。
片方の鼻腔が完全に塞がり、そのお陰で耳も詰まる。喉の奥も腫れ、必死にうがいをしたところで逆効果な事も薄々二十幾年の経験を元に感じ取っている。瞼もうまく開かないし、脳に牛皮を貼り付けたかの様に思考が滲む。

だが認めない。
こういった個人の尺度で病気かどうか決まる類のものは大体「気のせい」だ。
「風邪」程曖昧なものは無い。「愛」とか「心」と同意義。
風邪の定義など無い。その人が少し寒い時や精神的に滅入った時に気怠さを毛ほどでも感じたのであればそれは風邪だろう。
ただゲームを始めるにしても説明書を読んで操作方法と主人公の意図を汲み取らなければ旅に出ない僕だ。輪郭のぼやけている「風邪」といった文字の羅列に躍らされる程素直な訳では無い。
但し体温計は別だ。数値化されたら元も子もない。まぁ言っても体温の高さが風邪に直接繋がっているといった根拠は何処にも無い訳だが。


とことん斜に構えよう。何に対しても何方にも対応出来るように。
人間の目は180度よりほんの少し広く見える様になっている。前と横だけでなく、少し、ほんの少しだけ過去の廃物や想定外の物に対する反応が出来る為である。恐らく。真正面からばかり捉えていても疲れてしまうし、不意な角度からやってくる黴菌のような物事や奴等に上手く格好をつける事が出来ない。その愚直さこそが羨ましくもあるが。
死角から菌がやって来ても、斜の構えで叩き斬ってやる。逆から来ても鞘で殴打する。



まぁ、なんだかんだ言ってもバイト帰りにローヤルゼリー配合のウイダーとかリポビタンDとか、ヨーグルトとか鼻セレブとか買ってしまっている時点で勝敗は決まっているのだろう。
魔法の言葉「早めのパブロン
苦手な錠剤を3錠も喉の奥に捻じ込んだのだから効いてもらわなければ困る。

明日の朝は雪の匂いで起きることが出来ますように。








































♪星に願いを/GOING STEADY

2015、失礼します。





2015年、
あけましたね。
新年の挨拶は昨日までだと小耳に挟んだので控えさせて頂きますが、そんなん糞食らえだって人は今日も今日とて七草粥を流し込もう。


毎年懲りずに思うし言うのだが、新年と言っても3日位までで正月らしさは何処かへ溶けて無くなってしまうことに戸惑いを隠せない。
まだ年が明けて1週間しか経っていないのにガキの使いや紅白が映されていた年の瀬の期待感とか箱根駅伝ややたら流れる年始のお笑い番組の様な特別感は名残すら香らない。
今年度一発目の月曜がやって来ると首根っこを掴まれ、強制的に日常へ引き戻されるんだ。



ぬるぬると泥濘に嵌るのはやだなぁ。
そうだ、今年になって初めて会う人に初めて掛ける言葉を変えよう。
あけましておめでとうじゃなく、
水族館行ったらまずなまこコーナー行くよね。
みたいな。


一発目から何言ってるんだ。
さぁ、今年も、日常、よろしく。
頼むから良い年でありますように。










































年の瀬クライミング




一年の中で年末年始が一番好きだ。

めでたい人もめでたくない人もいるだろう。だが、めでたくなければいけないという一種のある脅迫めいた街の赤に侵され大人達が馬鹿みたいになっている様が非日常感があってわくわくする。
躍起になってめでたい日を取り繕ってもその日だけを見たら結局唯の1日に過ぎない訳だが、まぁ1年を振り返る区切りには良い日だし、ここで2014年に手を振って来たる2015年への想いを書き記しておこう。


今年は人との出会いに恵まれた年だった。去年までの僕は大学での人間関係なんてどうでもよかった。兄がそうだった様に、県外の大学に実家から通い、地元でアルバイトに勤しむ僕は金にもならない無駄で大学生らしい関わりは不必要だと切り捨てていた。今までサッカーをしてきたおかげで大学生になっても声を掛けてくれる人はそれなりにいたが、自発的にアクションを起こさなければそれ以上の関係性を作れない大学のシステムに疲弊してしまっていた。

それらを言い訳にうまく振る舞えない臆病な自分を見ないことにしていたことも知っている。                                  


今年は優しい人に沢山会ったんだ。自分を犠牲にして他人の役に立とうと直向きに生きる人間を初めて見た。口だけそう動かす人達は今まで幾らでもいたけれど、彼らは本気なんだ。何も疑わずお人好しなんだ。

彼らに出会えて本当に良かった。大袈裟かな。普段それ程自分の想いを口にすることの多くない僕がこんな思いを馳せてこっそり文章にしていることを知ったら驚くだろうか。それでもいい、今年僕が作らない笑顔で接することのできた彼らはそれ程の感謝と尊敬と発見を与えてくれたんだ。

ゴミクソみたいな出来事が年始めにあったけれどゴミクソはゴミクソでゴミ箱にポイ。ゴミ箱ごとポイ。ポイした事すら霞む程に沢山の感謝を有難う。


来年の抱負は

至る人に必要とされること。

他人の役に立つこと。


                                                 以上。

就職活動とか、就活とか、就職活動とか、やる事は余りにも多いけれど周りにとっても自分にとっても幸せが溢れる1年になりますように。


2014年、ありがとうございました。
2015年、よろしくお願いします。
今日も1日、生きて、こうして年を重ねられる事に感謝。



来年も、何卒。





































掘り炬燵を囲んで





自分が満ち満ちた時間を送れているのは粗、いや、全て他人のお陰だ。僕の場合は。
感謝と尊敬と配慮の入り組んだ空間というものは最高に気持ちが良い事を改めて知った。お酒なんか飲まなくても酔っ払えるし、それは頬も紅潮してしまうものだ。
「寝ないでね!」だなんて。皆だって、そこにあるものに全てを委ねても良いなと思えたら目を閉じたくなるだろう。
全部聴いてる、聴こえてるし、感じてる。自分の持ち得る感受器の一つ一つで居心地の良さを享受していってから最後に目を開きたい。
そこにはやはり素晴らしい光景が広がっていて、僕が寝てしまわないか怪訝そうな顔をして伺っている彼らがいる。


二つ借りている内の一つの部屋に集まって、
折角の広い部屋の三分の一位に固まって、
真冬なのに窓を開けた。
篭った熱気と畳の匂いが抜けて、降り始めた雪が潮風に乗って縁に届いた。




いい歳末だ。
クソったれな2年間を過ごしてきて、これからも下らない2年間をただ熟すのだと思っていた。
何を起こすわけでもない僕が世界を変えることは出来ないと悟っていた。



いい仲間に出会えて本当に良かった。それに尽きる今年一年。あまり忘年しなくて良いと思えるような。







あ、今年を締めるにはまだ早いか。
書くことが無くなってしまう。




嵐が去った後に飲んだ珈琲は程よく脳に沁み渡り、
僕にとっての彼らの様に
彼にとっての僕がほんの少しでも、産毛ほどでも良いから生きる上で足しになれればいいなと、そう思うには丁度良かった。



































♪ビューティフル/サンボマスター