Bitter Sweet

ときめきたいったらありゃしねえ

掘り炬燵は炬燵のカテゴリーに入れて良いものか









アナログ人間である。

であるからして、文字を打つよりかは書く事の方が多い僕であるが、最近はよりペンを握る機会が多い。というより握らなければいけない事が多い。


言ってしまえばこんな下らない日記など書かずにやるべき事は他にもあるのだがジャンルを変えずに気分転換をしなさいと何処かで小耳に挟んだので許して頂く事にしよう。




シャープペンで書いて、削って、線引いて、括弧付けて、消して、なぞって、の繰り返し。


それでも本番はボールペンで書く事が殆どで、最近ボールペン字が上手になってきた。



悲しい、悔しい。



書道を長い間学んできた僕は、筆先が細くて滑るボールペンが苦手だった。右手に全く紙が喰わなくて、ボールペンを持つと大好きだった字を書くという行為がストレスになる程だった。


それが最近、ボールペン字を書くときの違和感が薄れてきた。
小さい罫線の中に楷書体でバランスを考えて、流れるように文字を綴るのに慣れてしまった。

あの時の技術や匂いを纏った僕はもういないのだろうか。それとも来たる日はスッと出てきて仕事をしてくれるのだろうか。



なんだか自分が一つ欠けたみたいで凄く嫌な気持ちだ。自分らしさが擦れて角が取れていくんだろう。








ボールペン字が苦手な僕でありたい。
他人にとっては短所に見えるかもしれないけれど、きっと僕にとってはそれが一番僕らしい僕なんだ。


































































♪arrival time/BRAHMAN

タジン鍋を持っていればお洒落という風潮



今更だが、タイトルと本文は一切関係無い。全く無い。清々しい程無い。皆無。虚無。
語呂、リズム、思いつきが全て。タイトルを嗅いでやって来た方、ごめんなさいね。悪しからず。








やらなければいけないことは重々承知だけれども、やらなくても良いことばかりが僕の優先順位をぶち壊してゆく。



説明会の最後や、はたまた講話の終盤に訪れる「質問はありませんか?」
わからない事がわからないのだから質問なんか出てくるわけがないのだ。そういった時に静寂を破るのは話に熱心に耳を傾けた者ではなく、潜在的にそれなりの知識を兼ね備えていた者か、的外れの阿呆である。

其れに似た「手も足も出ない、又は出したくても出ない現状」に更に怠惰を重ねる日々を送ると徐々に人間は腐っていくのだという事を実感している。精神的にも、物理的にも腐敗して爛れる。
丁度僕の右半身も卵の腐った臭いがしてきたところだ。


やらなければならない事なんて全てだ。
自惚れてはいけない。自分に何が足りると言うだろうか。
僅かばかりの行動力を捻り出し、履歴書を書いたところで、自らの学の無さと品の無さが透けて見えるのみである。



しかし、息苦しくなると他人の感性をつまんで呑み込む今迄の僕を作ってきたものも、果たして無駄であったのか。
今の僕自身には何も無いが、先人たちの研ぎ澄まされた感性は確かに僕の中で息づいている、はず。
彼らを否定する訳には、いかない。


ペンを持て。



























































365×4=







東日本大震災から四年が経った。
もう四年か、とまだ四年か、が交差する。
四年間で得られたものは何だろう。

3月11日に宮城県に居たことも、福島県に居たことも、山形県に居たこともあるけれど14時46分は皆立ち止まって黙祷をする。関東や関西の詳しいことはわからないけれど、1分間は追悼の意を込めると共に、日常に溶け込んでしまって風化してはいないことに安堵する。


あの日から、毎年この日になると決まって雪が降る気がする。東北でこの時期に雪が降ることははさして珍しい事ではないのだが、せめて今日位、穏やかな春が来れないものかと空に向かって想う。

Twitterで「黙祷」って呟いたり、くっさい感動エピソードをリツイートで回してくる奴らはともかく、僕の周囲は本格的な復興に向けて行動を起こしている方が多く居る。復興が複雑化する中、自分の立場から自分が出来ることを考えている。大きなイベントを立ち上げ、収益を被災地復興の為に贈る方や、ギターを持ってステージで叫び、呼び掛け、平和を歌う方も居れば、自分の足で三陸沖や仮設地域に向かい、生活の改善や心のケアに努める方もいる。他にも多岐にわたる支援の仕方があって、極端な事を言えば「私は何をすれば良いのだろう、今度こういった支援をしていきたいな。」と思索するだけでもある意味復興へ繋がる小さくも大きな一歩である。


そんな僕は被災地へと向かわずに、県の大きな施設で企業の説明を受けた。福島へ行く車に同乗させて頂くお話も貰ったのだが気持ちだけ持って行って下さいとお願いをした。

パイプ椅子と机を並べただけの簡易的な説明会ブースに座りながら自分はこんなところで何をしているのか、もっと他人の役に動けるのではないかと何度も何度も思ったが、自分の事も熟せない奴に他人をどうこうしようとする資格も無いと無理矢理自分の肩を押し付け、椅子に座らせた。


行けないのならば、せめてこの日に同じ空気を吸って今日を過ごそうと躍起になって呼吸した。
彼等と同じ日々を、生きてる。






今日も今日とて先程夜中にコンビニに繰り出した。東北では雪が降りしきり、薄く道路に積もる中、傘を差してファミリーマートを目指した。あの街も雪降ってるのかな、寒くなければ良いな。

同じ道を辿って帰ると、当然行きの足跡が残っていて右往左往どっちつかずの点々がぽつりぽつりと続いていた。
迷う事も悩む事もあるけれど歩みに出なくても良いじゃないかと苦笑した。
今日だからこそ、許せた。
3月11日くらいはその場で足踏みしても良い気がした。
明日からは4年と1日目。
今度からは足跡が真っ直ぐつくように前を見据えて歩こう。足元ばかり見てもズレてしまうだろうから。






書いている最中に12日になってしまった。表現の仕方とか、伝え方とか言い回しとか、気に障る方がいらしたらごめんなさい。自分なりにしっかり考えてみたのです。どうかご勘弁を。













「「これぐらいしかできませんが」というほんの少しの無理が重なって大きなものになる。」いつかTOSHI-LOWさんが言っていたこの言葉を胸に置いて今日からまた少しずつ、ほんの少しずつ無理するんだ。















































































♪鼎の問/BRAHMAN

どんぐりノーマルの背比べ



様々な物がとにかく障壁に見えて、実に多様な形として僕の行く手を阻んでいる気がしてならない。

先日の講義で彼が教壇の上で述べたように人類は皆平等なのであれば、幸せな顔をして道端を歩く普遍的であるとされる彼らは一体どのようにして壁を乗り越えていくのだろう。すり抜けるのだろうか。




僕はミサンガを三つも手足に着ける程臆病で脆い人間。肝心な所は歳月を経ても変わることを知らない自分自身に辟易する。

コンビニでマスクとガムを買うだけで、店員に「こいつ口臭気にし過ぎだろどんだけ臭いんだよ」って思われそうで全く不必要である何かしらを余計にレジに持って行き、注意を散らそうとする。僕は只風邪気味なだけなのに。

跨げる様な小石にも突っ掛かってしまう。



自信の無さは魅力の無さ。
只々無意味に胸を張り、今日も青いネクタイを締める。

企業の求めている人物像になどなれやしない。
とにかくいい人を作ればいいんだろう。
虚勢というスーツを着て明日も頻りに頷くんだ。

チュロスチャンバラ


今週のお題「ふつうに良かった映画」



映画館、はとても好きだ。あの異質感。閉鎖された空間に蔓延する、あの空気。淀みながらも悪い気はせず、どこか高尚な娯楽に身を投じた自身に酔っている人が集っている様な気がする。決して悪い意味では無い。大事なことなので二回。やけに甘ったるいキャラメルポップコーンの匂いとロビーとスクリーンの世界観の違いが僕の鼓動を速くする。

そんな僕だが、最近めっきり映画館には行けていない。暫く足を運んでいないと近代化したルールについて行けない様で怖いのだ。しかし、ただ単に1人で映画館に行った所で大嫌いな友人カップルなどと遭遇したく無いと言った理由が大半を占めているのだが。


そうなると田舎暮らしでアナログな僕は映画を見るにはDVDに頼らざるを得ないわけだが、僕は自宅のテレビで映画を見る事をとても苦痛に感じてしまう。行動を限定されていない環境で「映画を見る」事だけに時間を束縛されるのが苦手だ。だからと言って本を読みながら、携帯を弄りながら作品を観るのも気が引ける。




前置きが長くなったが、そんな奇天烈な心持ちの僕が久しぶりにTSUTAYAで手に取った作品は

エスケイプ・フロム・トゥモロー

である。



雑誌か何かでこの映画を知った時、監督は相当捻くれている方だろう。と、一方的でひどく身勝手な偏見を持った。


ある意味、この作品は今週のお題にはそぐわない。お世辞にも「ふつう」とは言い切れないからだ。であるからか、良かったとも言い切れないのが正直な所だ。

ディズニーランドを無許可撮影して、尚且つモノクロシーンのみで作成されたこの作品からは、映画を鑑賞する多くの人が求める感動や爽快感、満足感などは全く得ることが出来ない。


ディズニーのみが持つ計り知れない幸福感と得体の知れない人工感、そして其処から生まれる誰もが感じるが誰も見たことのないほんの僅かに漏れ出しているダークな側面に擦り寄っていく。


不意にこの記事を見た人がネタバレしちゃったよーってなるのが恐ろしいのであまり深くは掘り下げないでおくが、良くも悪くも思考の余地がある(ありすぎる)作品である事は間違いない。

極端な事を言うと、この映画を見た一人一人に感想を聞いても全く同じ受け取り方をした人はいないと思う。




何処までが主人公の夢なのか、

主人公が夢の国で見た史上最悪の悪夢を是非この記事を読んでいる皆さんも見て欲しい。僕だけでは持て余す程の壮大な悪夢だ。


あれ?ミッキーってあんな顔だったっけ?イッツアスモールワールドの人形達の様子がおかしくないか?少しでもそう思ってしまったら、もう夢の国から目覚めることはない。皮肉にもエスケイプ・フロム・トゥモロー(明日からの逃亡)は出来ているのかもしれないけれど。




















































ミッキーマウス・マーチ

異臭の強襲




過敏性腸症候群に加え逆流性食道炎の僕は自分の何を信じて生きていけば良いのだろう。
朝はトイレで一定時間過ごさないと不安で外出は出来ないし、朝ごはんで牛乳はまず飲めない。









「東京の学生はもう動いてるよ」
就職活動を目前に控え、不安と期待に揺れる僕達を下目に見ながら、ステージの上で黒服を着た体格の良い男は言う。


東京の学生、とか
企業の目線では、とか
今年は期間が、とか
去年の採用は、とか
不安を煽るワードをこれでもかと言葉に練り込んでくる。
そんなに煽らなくても、自分には自分の出来る範囲でしか出来ない事は僕達だって知っている。

肩幅が広く、もみあげと襟足を刈り上げている何処ぞの中年のおじさんが、鼻息荒く、脂汗を滲ませながら声を荒げている姿は何か滑稽に見えた。


自分のどこを信じたら良いのか。
はたまた自分を信じれば内定を貰えるのか。
こんな「就活生らしさ」は自分にとって何か価値のあるものなのか。



兎に角、自分の胃腸も信じられない奴に、自分の信念を信じられる訳が無い。
先ずは朝食にヨーグルトを食べる所から始めよう。



















































♪Cakes And Ale And Everlasting Laughs/ELLEGARDEN

拳の裏側、いぶし銀





降り積もった雪も黒ずみながら道路の両脇に積もり、アスファルトの顔を久し振りに見かけた様な気がする。
今年の雪の色を見ると胃腸炎やらテストやらがふと脳裏をよぎり、楽しさを含んだ感情を余すことなく蹴散らされる為、一刻も早く暖色の風が吹かないかと心待ちにしている所だ。


こんな季節は物欲が増す。
毎月毎週毎日物欲ばかりであるし、この日記ですら物欲物欲うるさいなこの物欲野郎がとお思いの読者の方もいらっしゃるだろうがしょうがない、僕は物欲人間だ。


頭の中で悶々と、オークションを眺めiPhoneをなぞるばかりの日々であるから、此処で形は違えど置いておこう。






オールデンのコードバンが今一番欲しい。ホワイツのブーツも良いし、パタゴニアのレトロカーディガンも欲しい。マルジェラのパッチワークニットも憧れるしGANRYUのスニーカーも捨てがたい。オニツカやコルテッツみたいなスニーカーも良いけど、今は真っ白かネイビーのエアマックスが気分だ。良いジーンズが欲しいから定番の501を持っておきたいし、合わせてバブアーのオイルドジャケットを羽織りたい。そしてずっと前から言ってるけれどカメラ欲しい。雪国でまだ乗れない癖に自転車欲しいし、音漏れを気にしないヘッドホンも欲しい。

まだまだあるが。

途中で吐き気を催したが、何とか耐えた。



欲しいものリストを書き出したら、ほんの少しの生きる希望と活力を見出した。
今日はiPodを持ってきたのにイヤホンを忘れるし、気温は氷点下6度だけれど、今日1日位は頑張れるかな。これを手に入れるまでは生きよう。って。そうだ、物欲が尽き無ければ死ぬ事もない。不老不死か。世紀の大発見。







































































♪…イヤホン忘れて聞けないんだった。